ぽけっとパーク

真実告知体験談

ケースNo.11

みぽ吉さんの真実告知
※平成29年6月24日の真実告知のシンポジウムで発表された内容です。

神奈川ブロックのみぽ吉と申します。
私たちの告知と我が家のことを少しお話しさせていただきます。

私たち夫婦は、2010年の8月に行われたbabyぽけっとの第1回面接説明会に参加させていただき、待機組になりました。
待機させていただいているときは、告知についてやご縁をいただいたら子どもと一緒に何をしよう。ベビーマッサージやわらべ歌などを勉強していろいろと考える良い期間となりました。

そして、翌年の2011年の3月に2月生まれの長男「ふじ太」とのご縁をいただきました。
引き渡しの数日前に東北の震災があったため交通機関も不安定な状態が続いていました。
引き渡しが延期になっている間に、熱めのミルクが好きみたいでよく飲んでいるから安心してと連絡をいただいたり、当日の迎えるときも
その後もマザーさんをはじめOBの皆さんに助けられて子育てが始まりました。

初めての子育てで不安なこともありましたがとても心強かったこと、こうやって親になっていくのかなと考えていたことを思い出します。
そして、2013年の3月に次男「さん吾」と2016年の2月に1月生まれの
「いつ葉」とのご縁を結んでいただきました。
毎日、にぎやかに過ごしています。静かな時間は寝ているときくらいでしょうか。
幸せな時間が過ごせることに感謝しています。

私たち夫婦が特別養子縁組をしようと決めたときから、長男の「ふじ太」を迎えるまでにたくさんの情報とOBのみなさんの体験談から真実告知の大切さを感じていました。
私たちがどのような子育てをしていくのか。どんな子に育ってほしいかの原点になることになりますが、いくつか決めたことを紹介します。

*初めての告知は、誰からでもない私たち夫婦であること
子どもたちが成長していく中で、ファーストスプーンやファーストシューズがあるようにファースト告知は私たちからする。
*私たち夫婦のところに来てくれて嬉しいということを伝え続けていくこと
成長をするにつれて、いろいろ理解できるようになって伝え方や言葉、表現は変わっていくけれど、父や母になれたことに感謝をする。
*子どもたちが、成長し大人になって自分が養子であることに対して「だから何だ、オレはオレ」「私は私」と受け止められるようにする。
これからいろんな選択をして生きていく中で、子どもたちには真実を知った上でたくさんの選択肢がある方が良いように思っています。
子どもたちの様子をみながら告知を進めていきますが、タイミングや方法が合っていないときもあるかもしれませんが、子供たちの気持ちを受け止めながらサポートしていきたいと思っています。

告知の時期についてです。
子どもたちの年齢に合った、知っている言葉や表現にはなりますが、少し難しい内容になるのは年中、年長さんくらいからかと思いました。
そして私たち夫婦は、突然、重大発表のようにしたくなかったので少しずつでもいつもの生活の中に告知を取り入れていくのが良いのではと考えました。
なので、ふじ太には会話でコミュニケーションが取れるようになった3歳のときから告知を生活の中に取り入れていきました。

告知の方法です。

どれが正解と言えないのが真実告知だと思っていたので、一番に伝えたいことは何だろう。どのようにしたら伝わりやすいのかをまず考えました。
ふじ太に一番に伝えたかったことは、私たちのとろこに来てくれて嬉しかったことです。
上手に伝えるために、視覚からが分かりやすいのではと思い、当時アンパンマンが大好きだったのでファースト告知にアンパンマンの力を借りることにしました。
皆さんは、アンパンマンの1話目の内容をご存じでしょうか。
簡単にお話するとジャムおじさんが夜にパンを焼いているとたくさんの星が煙突からカマドの中に入ってきて中からアンパンマンが生まれて出てきます。
そのときのジャムおじさんは、とても嬉しそうにアンパンマンを抱っこして一緒に暮らし始める話です。
告知を初めてする日に、アンパンマンの1話目のDVDを一緒に見ました。
そして、私のお腹が痛くなってあかちゃんを産むことができなくなったこと。
ふじ太を産んでくれたお母さんが、ふじ太と一緒にいることができなくなって仲良くしになってくれるお父さんとお母さんを探していたこと。
仲良しになりたいですと私たちが言ったので、おうちに来たんだよ。と話をしました。
と思えることが大きな力になるのではと思っています。

今年の4月よりふじ太が小学校に入学したのですが、入学する前にもう少し伝えておきたいと思いました。
ちょうど2016年の5歳の時に出生地である九州ですずらん会が企画されていたので、息子たちを連れて参加させていただきました。
行く前に、日本地図を見ながら九州で産まれたことを伝えました。
さん吾もオレは?ともちろん聞いてきたので、ミッキーのお家の近くの千葉で生まれたこと、いつ葉は京都で生まれたことを教え、地図で場所の確認を一緒にしました。
ふじ太は、「オレの方が大きい」と九州を見て喜んでいました。
その後、テレビなどで九州や千葉のことが出てくると「オレの生まれたところなんだよねー」とオレの場所と嬉しそうにしています。
告知を重ねていて息子たちは、今日はオレたちの何を教えてくれるの?と興味を持ちはじめて来た時に誰のお母さんの話?私を含めてどのお母さんの話なのか混乱しているようでしたので正しく伝わるように、私の名前、夫の名前、子どもたちを産んでくれたお母さんの名前をそれぞれ伝え、名前を使って話をしています。
子どもたちは名前は、すんなり受け止められたようでしたが。
私たち夫婦は誰から生まれてきたのか、ばーばが誰から生まれてきたのかが気になったようでした。

息子たちが告知のことをどのように理解できているのか。どのように感じているのかが分かるかもしれないと思い、産んでくれたお母さんの話をしたときは、「産んでくれたお母さん(名前で)が会いたいっていったらどうする?」と聞くようにしています。
今現在は、「会いたいと言われたら会うし、話がしたいと言われたら話てもいいよ。」となぜか上から目線ですが。
「お母さんは一緒に行く?夜にはお家に帰ってくるんでしょ」と聞かれたこともあります。
一緒に何を話すのには「ウルトラマンのこと」だそうです。小学校や保育園ののことが知りたいと思うよには「えー。ウルトラマンの話がしたいのに」でした。

これから、この答えがどのように変わっていくのか楽しみです。
引き続き、私たち夫婦は変わらないサポートをしていきたいと思っています。
息子たちのこのような会話や様子を見ているいつ葉には、また違った告知をすることになると思います。
いつ葉の成長を見守りながら、娘に合った告知をしていきたいと思っています。
我が家の告知は、まだ始まったばかりです。
それぞれの子どもたちに合わせて進めていこうと思っています。
三人のそれぞれの存在が心の支えになってくれたら嬉しいなと思っています。

この報告が、みなさんの真実告知に役立てることができれば幸いです。
最後に我が家のカワイイ子どもたちの写真を見ていただいて終わりにさせていただきます。
ありがとうございました。

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