ぽけっとパーク

真実告知体験談

ケースNo.12

「ニコ」さんと「あ~る」君の真実告知
※平成29年6月24日の真実告知のシンポジウムで発表された内容です。

私達は9年間の不妊治療を経て、3人の子供達とのご縁を頂きました。
まずは子供達の紹介をさせて頂きます。そのあと、我が家の現在までのお話をさせて頂きたいと思います。

長男のあ~るくん、7歳9ヶ月で小学2年生です。
図工と生活科が得意です。
体育は苦手ですが、5月の運動会では75m走で1位になりました。
保育園の時も小学校でも、担任の先生から「優しい、思いやりがある、お友達や小さい子の面倒をよく見てくれる」と言われています。
将来は、保育士になりたいそうです。

次男のクールくん、5歳6か月で年長です。
たくさん食べて、よく喋り、とても元気でとても世話好きな子です。
ドラえもんをこよなく愛し、ドラえもんが遠くに行くストーリーを見た後は、思い出して泣いて悲しむ感情豊かな子です。
まだまだ甘えん坊。妹の隙を狙って抱っこをねだってきます。

長女のれあちゃん、1歳9ヶ月です。
こちらも、次男に負けない元気な娘です。
小さめで産まれ、心臓疾患や卵巣嚢腫などの病名がついていましたが、生後8ヶ月のフォロー健診では、全て自然治癒していたという、とても逞しい子です。
ただ体はあまり丈夫ではないのか、これまでに2度の入院を経験し、先週も肺炎の1歩手前と言われ、毎回発熱の度にハラハラドキドキさせられます。
歌に合わせて踊ることが大好きです。
家族を笑顔にさせる、不思議なパワーの持ち主です。

私達夫婦は、今月1日に結婚20年を迎えました。
3人の子供達と過ごす姿は、傍から見れば賑やかで普通の家族に見えると思いますが、ここまで来るのはそう簡単なことではありませんでした。
2度の子宮筋腫の手術、人工授精、顕微授精、リンパ球輸血、そして稽留流産。
子供がいる生活はもう無理なのかな・・と何度も、その現実に負けそうになったことがありました。
ここにいる皆さんも、同じ思いをされた方はたくさんいらっしゃると思います。
「妊娠できる可能性はゼロではない」と医師に言われ、もう少し、あと1年、あと100万円だけ・・と、そのわずかな可能性に掛けて頑張りました。
莫大な治療費を使わず、早くに治療を辞めて特別養子縁組の道を選択していれば、こんなに経済的に苦しむこともなかったのかな・・と思ったこともありましたが、3人の子供達を迎える事が出来た今、長い不妊治療の期間は、この子達と出会う為の準備期間だったと思います。
この子達と出会うために、私達が成長しなければならなった期間だと思っています。

限界を感じて治療を辞めたのは平成19年です。それと同時に私は准看護師で働いていた病院を辞めて、看護学校に入学しました。
それまでに、「特別養子縁組で子供を迎えたい」と何度か夫と話し合いましたが、意見が合わず、この時点では子供のいる生活を諦めていました。
子育てが出来ないなら、「次にやりたいことをやるしかない」と思い入学したのですが、内心は子供を諦めなければならない、自分から逃げ出したのだと思います。
看護学校に行けば、出産や子供との関わりは絶対に避けて通ることは出来ません。
自分が出来なかったことを、どうやって前向きに関わり合えるのか、とても不安でした。
その中で私は、「やはり子供を育てたい」という気持ちを確信する体験をました。
それは、重症心身障害児施設での実習でした。
重症心身障害児とは、重度の肢体(手足)の不自由と重度の知的障害が重複した状態の子供で、さらに成人した人も含むそうです。

施設で出会った「こうちゃん」は34歳の男性でした。
ダウン症ですが、幼少の頃から入所しているのだと、スタッフから聞きました。
定義にある、手足の不自由は私には全く見えませんでした。
いつも入口のドアの前で、ボールと自動車のおもちゃを両手に持って立っています。
入ってきた人を見て、しょんぼりと肩を落として部屋に戻って行くのです。
そう、家族を待っているのです。入所して数年は、お母さんと兄弟が会いに来ていたそうですが、ここ数年は誰も面会に来ていないとスタッフから教えて頂きました。
もう1人20歳の女の子は、自分で呼吸はしていますが、全く意識がなく寝たきりの状態でした。
両親が海外にいるので、年に1度だけ面会に来るのですが、その時だけはニッコリと可愛い笑顔を見せるそうです。
どんなに施設の人が構ってくれ愛情を注いでも、やはり自分だけを見てくれる家族が必要なのだと感じました。
こうちゃんは、毎日毎日どんな気持ちでお母さんを待っていたのでしょうか?
お母さんに会いたい、お母さんの声を聞きたい、お母さんに抱きしめて欲しい。
こうちゃんが、ガックリと肩を落とした姿を見たとき、そう思いました。

施設には施設の良さがあると思います。でも、家庭で育つことが一番の幸せなのではないかと、実習の中で感じました。
それまでは、ただ子育てがしたい、親になりたいと漠然と思っていましたが、私達と暮らしてもいいという子がいれば、その子の家族になりたい、一緒に生活をして色々な物をたくさん見て色々な経験をして、泣いたり笑ったりしたいと思うようになりました。

そうしてこの頃には、夫も子育てをしたいという気持ちが強くなり、平成20年10月の看護学校に在学中に、岡田代表の前会に申し込みをし、翌年の4月29日に面接を受けました。
忘れもしません。初対面での第一声が「遠いところをご苦労様。なんで北陸は新幹線が通らないのよ。ダンナも不便で叶わないって言ってるわよ。」でした。
この土浦に来るたびに、当時のことを鮮明に思い出します。
そして面接から約5ヶ月後の9月17日に該当の連絡を頂き、10月3日に生後16日のあ~るくんを迎える事が出来ました。
色黒で老け顔だった新生児時代、2歳7か月で腸重積になり、整復しても何度も繰り返し悪性腫瘍の疑いがあると言われ、私達をとても心配させたこともありました。
気が付けば9月に8歳の誕生日を迎えます。
この8年の間に北陸新幹線が開通し、代表も北陸に来るのが随分便利になったと思います。

あ~るくんは、小さいときは手が掛からない子でした。大人しくて夜泣きをしたのは2回だけ。良く寝る子で、いつもニコニコしていて愚図ることも少なかった子でした。

面接の時にも代表から、真実告知をすることの大切さ、親以外から子供の耳に入った場合の親子関係について・・などをお聞きしました。
前会に申し込むまでに3年かかりましたので、その間に自分なりに色々な情報を集めていて、真実告知は必ず行うと決めていました。

該当前から自分の中でイメージしていて、絵本を使って産みのお母さんがいることを教えることが、とても分かりやすいだろうと考えていました。
そして家族全員揃って話すことが、子供にとっても一番良い方法だと考えていました。
でも、あ~るくんは全く絵本に興味を示さない子でした。
読み聞かせをしてもボーッとしていて、反応がありません。
言葉も遅く1歳半健診の時には要観察になりました。それでも2歳になった頃から、少しずつ単語が出始めました。

この頃から、この子には今の生活をしていく中で、自然に実母さんの存在を教えていく方が一番理解しやすいのではないか・・と感じるようになりました。
そう考えていたあ~るくんが2歳4ヶ月の時に、2人目の該当の連絡を頂きました。
34週での出産、出生後には無呼吸を繰り返すため何度か危ない事があった。現在も入院中であり、引き渡しは未定。
もしかすると、脳へのダメージがあり障害が残る可能性もあるというお話でした。
告知は3歳を過ぎてからと考えていましたが、弟が出来る喜びを伝え、この時から赤ちゃんがどうやって生まれてくるかを少しずつ教え始めました。
私達があ~るくんとのご縁を頂いたときは、共に39歳の時でした。
友人たちは出産を終えて、身内にも妊娠している人はいませんでした。
普段の生活の中で、お腹の大きい人を見たときに、
「お腹に赤ちゃんがいるね。赤ちゃんはね、初めはとっても小さいけど、お腹の中で大事に育てて段々と大きくなるんだよ。そうすると、お母さんのお腹もポッコリと大きくなるの。そしてオギャーって泣いて生まれてくるんだよ。」
とその都度話しかけていきました。
平成24年2月4日に、次男のクールくんを生後2ヶ月で迎えました。
「赤ちゃん来たね。弟だよ。」と言っても、2歳5ヶ月ではほとんど理解は出来ていません。
赤ちゃんよりも、代表の娘さんに構って貰えることに夢中でした。
クールくんはあ~るくんと正反対で、とても手が掛かり生活もクールくんの育児が中心となってしまい、しばらくは何の進展もない状態になりました。

3歳になり保育園に入園しました。
この頃には言葉の遅れもなくなり、周囲の影響なのか次々と言葉が増えていきました。
在園中に告知を進めることになるので、入園の時に園長先生と担任の先生には養子であることを伝えておきました。
小学校からでいいのでは?という声もありましたが、あ~るくんは感受性が強く、神経質な所があったので、告知していく過程で精神的に不安定になることが一番心配でした。
細やかな観察や配慮をお願いしたかったので、入園と同時にお伝えしてお願いしました。
該当前には、告知は親子3人の時に行おうと決めていましたが、仕事が交替制で不規則な我が家では、うまく良いタイミングがつかめませんでした。
私が主に告知をすすめ、夫がそれをサポートしていくことになりました。

この子に合わせて告知を進めようと決めたので、大きな進展はないまま、3歳9ヶ月の時に、このシンポジウムにあ~るくんと私と二人で参加しました。
この場に連れて来ることで、自分と同じ産みのお母さんと育てのお母さんがいる子供達がたくさんいる。自分一人じゃないという事を感じて欲しかったのです。

あ~るくんの実母さんとは、アルバムや手紙のやり取りはありません。
私達の手元にあるのは、出産した病院でのネームプレートと足形とへその緒、胎内のビデオ、そして1通の手紙だけです。
シンポジウムに出席するまでに、「あ~るくんを産んでくれたのは、Mお母さん。どんな顔なのかはお父さんもお母さんも知らない。岡田さんだけが知ってるよ。綺麗な人だって聞いてるから、あ~るくんがイケメンって言われるのはMお母さんのおかげだね。」と話していました。
あ~るくんの反応は「その人が僕を育ててくださいって言ったの?どこにいるの?」でした。
私は「赤ちゃんはお母さんのお腹の中で大きくなるって言ったよね。今のお母さんのお腹は病気で赤ちゃんが住めないから、ずっとお父さんとお母さんには赤ちゃんがいなかったの。でもどうしても赤ちゃんと一緒にいたくて、岡田さんにお願いしたの。クールくんも岡田さんが飛行機で連れてきてくれたでしょう。あ~るくんはお父さんとお母さんが東京まで新幹線で迎えに行ったよ。Mお母さんはお家が大変だから、あ~るくんを育てられなくて、岡田さんに誰か代わりに育ててくださいってお願いしたの。そしてお父さんとお母さんが選ばれたんだよ。Mお母さんは秋田県にいると聞いてるよ。」
そうするとあ~るくんから「なんで大変なの?」と聞いてきました。
大人になったら分かるけど、赤ちゃんを育てるのはとても大変なの。ミルクをあげたりオムツを替えたり、赤ちゃんは喋れないから、病気になっても分からない時があるから、ずっと赤ちゃんから目が離せないの。
夜も寝られないから、体も辛くなるし、お金もたくさんかかるんだよ。Mお母さんもあ~るくんを産んだ後、体が辛くなって入院したって聞いてるよ。と答えました。
ふーん。という感じで、どれだけ理解できたかは分からないまま、シンポジウムに参加しました。
私の横で立ち上がることもなく、一緒にジッと話を聞いていました。
特に何の変化もなく帰りの新幹線の時間待ちの間、東京駅でショッピングや食事を楽しみました。
食事中、急に私の肩をポンポンと2度叩きました。
そして「お母さん、オレ全部分かってるから。大丈夫やって。心配ないって。」といつもと違う口調で言いました。
私が「え?」とあ~るくんの顔を覗き込むと、いつものあ~るくんに戻って美味しそうにアイスクリームを食べていました。
急に大人びた口調で話したことに驚きましたが、少しずつ教えてきたことを理解してくれたのかと思うと、嬉しくてたまりませんでした。

それからも「オレは鈴木あ~るくんやったけど、今はニコ家あ~るくんになったんやな。」「オレを産んでくれたのは鈴木Mさんやな。」という質問は時々ありました。
あ~るくんが真実告知を確実に受け止めてくれていると感じたのは、平成27年9月に長女のれあちゃんを迎えたときでした。
このときあ~るくんは6歳になったばかりでした。
私はずっと3人目を希望していましたが、夫と意見が合わず、次男の育児も大変でしたので諦めざる得ない状況でした。
しかしあ~るくんが5歳を過ぎたころから、弟か妹がもう1人欲しい。赤ちゃんが欲しい。オレがちゃんと世話するから。マミちゃんに言って(以前は岡田さんのことをマミちゃんと呼んでいました)連れてきてもらおう。と言うようになりました。
あ~るくんのこの言葉のおかげで、可愛いれあを迎える事ができました。
自分の兄妹は、私が産むのではなく、岡田さんが連れてきてくれるという事を理解していました。
駅でれあちゃんを迎えたときは「僕の妹だ!」と嬉しそうに言って、家に着いてからも何度も抱っこして喜んでいました。
そして言った通り、妹の面倒をよく見てくれます。

れあちゃんが来てからは、「オレを産んでくれたお母さんは鈴木Mさん」「クールくんとれあちゃんのお母さんの名前は?どこに住んでいるの?」とよく聞いてきます。
2人の実母さんは、子供には発音しにくい苗字のため、なかなか覚えられないようです。
その都度「クールくんはN・Yお母さん。東京だけど今は新潟に住んでいる」「れあちゃんはY・Nお母さんで愛媛県に住んでいる」と正直に答えるようにしています。

昨年の夏になりますが、あ~るくんに実母さんから預かったものを見せました。
そして手紙も読みました。
ビデオテープに挟める小さな手紙です。そこには、お腹にいるときには愛せないと思ったけれど、生まれてきた時には可愛いと思いました。この子はニコさん夫妻を待っていたと思います。素敵な名前をありがとうございます。と書いてあります。
読んだ後に「Mお母さんに会いたい?」と聞くと「会ってみたい」と返事が返ってきました。
次に「会いにきてくれるかな」と言いました。
このことに関しては、言葉が詰まってしまいました。

あ~るくんが生まれるまでに、とても辛い思いをした実母さんとは、今後会うことは出来ません。
裁判中に調査官が実母さんと面談して、話を聞きながら号泣してしまったというほど辛い思いです。
事実をありのままに伝えるかは、私達の中でまだ決まっていません。
その部分に関しては、言わなくて良いとアドバイスも頂きましたが、もし大人になって知ってしまった時のことを考えると、伝えた方が良いのかもしれません。

実母さんの生活環境は違いますが、長女も同じ事情で養子となりました。
私達自身、長男と長女にはどこまで話すべきか・・、今はまだ答えが出ていません。
もう少し大きくなって、そして家族の絆がもっともっと深まった時、全てを話そうと思うかもしれません。

丁度この頃、次男と実母さんの面会の話が出ました。
次男はまだ、実母さんのことを理解できていません。
発達面で引っかかる部分があり、私達も告知は急いでいません。
次男のペースで理解して行ければ良いと思っています。
話を頂いたとき、次男だけを会わせるべきか、あ~るくんも会わせるべきか悩みました。
まずはあ~るくんの気持ちを優先したいと思い「クールくんが産んでくれたお母さんと会えるかも知れない。あ~るくんは産んでくれたお母さんの写真もないし、これからも会うことは出来ないと思う。クールくんだけいいな~と思うかもしれない。どうする?会ってみる?」と聞きました。
「オレのお母さんは会いに来ないやろ~クールくんだけなんや・・・」と言って黙ってしまいました。
産んでくれたお母さんのことを理解出来始め、会いたいと言っている子に残酷なことを言ってしまったと思いました。
しかしあ~るくんから「オレ、会ってみるわ。クールくんのお母さんならオレのお母さんだし、れあちゃんのお母さんもオレのお母さん。産んでくれたお母さんと今のお母さん、マミちゃんもお母さんや。オレってお母さんが5人いる。スゴイな。」と、思ってもいなかった言葉が返ってきました。

面会は実現しませんでしたが、あ~るくんのその言葉に、なんて純粋で素晴らしい心と考えを持つ子なのだろうと感激し、自分達がこの子を育てることが出来たことに改めて感謝しました。
それから1年たった今では、考え方もとらえ方も成長し、「お母さんはMお母さんと今のお母さん」と言っています。

普段の食事の時間にも実母さんの話が出ます。
あ~るくんがお兄ちゃんらしく「オレたちは産んでくれたお母さんと今のお母さんがいるんだ。」と、弟と妹に教えています。
そして、つい先週のことです。シンポジウムへ行くことを話していると、「へその緒って、赤ちゃんとお母さんをつないでいるんだよね。
赤ちゃんが生まれたら、それをジョッキーンとはさみで切るんだよな。」と言ってきました。
へその緒は見せましたが、そこまでは私は教えていません。
なぜ知っているのか聞くと「へその緒を見たときから、そう思ってた。」と言いました。
頼りない長男だと思っていましたが、目で見て考え、知らず知らずのうちに成長していたと実感しています。

今は母親が2人いることを、素直に受け止めてくれています。
これから成長していく上で、きっと疑問に思ったり不安を感じたり、もしかすると反抗することがあるかもしれません。今みたいに話をしてくれることも少なくなると思います。
私達は親として、何があっても子供達と向き合う事ができる、強い心を持ち続けたいと思います。
子供達には、心身ともに逞しく成長してほしい。それだけが私達の願いです。

最後になりますが、岡田代表と知り合わなければ、私達は子供を授かることは出来なかったと思います。
地位も学歴も財産も何もない私達に、3人の宝を授けてくれました。
何よりも大切な宝物です。
岡田代表、スタッフの皆様、そして私達に子供を託してくれた3人の実母様とご家族の皆様に、改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
ありがとうございました。
そして私達家族の話を聞いてくれた皆様、ありがとうございました。

「あ~る」君の作文
子供らしさがそのまま出ており、本人の思いのままを文章にして下さいました。途中、本人も感極まり涙するシーンもありました。
絶賛の作文です。是非ご覧下さい。

「ぼくのおあかさん」

ぼくにはおかあさんが2人います。
うんでくれたおかあさんと今いっしょにいるおかあさんがいると、ちいさいときからおとうさんとおかあさんにおしえてもらいました。

みんなはおかあさんが一人しかいないけどぼくは、二人いてびっくりしました。

うんでくれたおかあさんは、どんな顔をしているか見たいです。
どんな声をしているのかきいてみたいです。
もしあえたら」いろいろきいてみたいです。
どういうりょうりがとくいなんですか?
ぼくは今のおかあさんが作くるあげとかにんじんとかいろいろ入っているものが好きです。
ぼくはずこうがとくいです。
えを書くのがすきです。

うんでくれたおかあさんはえがとくいですか?
ぼくはおかあさんと似ていますか?
ぼくの今のおかあさんは、かんごしさんです。
ちゅうしゃをしたりごはんをたべさせてあげたりして毎日忙しそうです。
うんでくれたおかあさんはどんなお仕事をしていますか?
ぼくは、小さい子の面倒を見るのが好きなので大きくなったらほいくしになりたいです。

ぼくは小学2年生になりました。
わすれものをしたりしゅくだいもときどきやらなくておこられます。
スイミングもならっています。
テストにはなかなかごうかくしないけどがんばります。

いまのおかあさんから赤ちゃんをうむのはとてもたいへんなことだと教えてもらいました。
つらくて、いたくて苦しくてたくさん血が出るんだよと聞きました。
ぼくが元気に遊んだり学校で勉強できるのは、うんでくれたおかあさんががんばってうんでくれたかです。
うんでくれてありがとう!

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