ぽけっとパーク

真実告知体験談

ケースNo.17

我が家の真実告知について長男のケースを紹介させていただきます。65期とん漬け一家です。拙い話が長くなり恐縮ですが、お付き合いいただければ幸いです。

私たちは2011年に結婚しました。妊娠が難しいと分かっていて結婚したので、最初から高度不妊治療をしました。1年間で年収の1.5倍くらいのお金が出ていってしまう状態で、初めから「全力を尽くした」「悔いはない」と思えたところで別の道を考えるつもりでした。が、ご多分にもれず治療の沼にハマり、「神様なんかいない」とか「親になる資格がないんだ」とか、それはもう心身ともにズタボロになってBabyぽけっとに辿り着きました。
当初は「待機登録すらできないかもしれない」「登録できたとしても該当はないかもしれない」「期待せずにいよう」と考えていました。今思えば本当に自尊心が傷ついていたんだと思います。それを救ってくれたのはマザーさんや先輩方の「大丈夫ですよ」という言葉や、同期の存在でした。交流を通じ、皆さんのおかげで前に進むことができました。2015年に息子の該当、2年後に娘の該当がありました。
今年、私達夫婦は40代も後半になり、おかわり君は小学校1年生、おこめちゃんは幼稚園の年中さんになりました。今私達が家族としてここにいるのは皆さんのおかげです。ありがとうございます。

 息子にどんな告知をしたかの前に、私達がどんな下準備をして告知に臨んだかをお話します。もともと本を読んだり、養子縁組家族のブログを読んだり、ぽけっとのHPで経験談を読んだりしていましたが、待機登録してからはシンポジウムや交流会に参加することができたので、先輩方の話を直接聞くこともできました。
その中で、特に印象的で自分達の告知を考える上で参考にしたのが次のことでした。
① 養親が感極まって涙してことで、子供が驚いてしまった
私達夫婦は涙もろいので、告知の場面でこれまでのことが走馬灯のように駆け巡り、涙してしまうに違いないと思いました。
涙することは悪いことではありませんが、親の涙を見て子供が「この話をしたら親が悲しむ」とか「これは話してはいけないことだ」と思ってしまう可能性を考え、できれば涙なしの告知をしたいと思いました。
② 養親がポジティブに伝えていたため、学校で「お母さんが2人いる」と子供が友達に自慢した
特別養子縁組は素晴らしい制度ですが、実親さんの痛みを伴うことですし、価値観を交えず事実を伝えようと思いました。
③ 旅先で特別な時間をもち、養親2人から話した
そういう思い出に残る告知って素敵!と思いましたが、夫婦が感極まって涙してしまいそうに感じ、日常の延長で伝えたいと思いました。
④ 絵や日記、写真など視覚的なツールを使って話した
⑤ 絵本を用いて話した
視覚的なツールは子供に分かりやすいと思いましたが、「これだ!」としっくりくる絵本が私には見つけられませんでした。ぽけっとにはそれを自作した先輩方がいらしっしゃるので、お話を伺いとても憧れたましたが、私にはスキルもセンスもなかったので断念せざるを得ませんでした。
余談ですが、最近「ももたろう」のお話が話しやすかったしうまく伝わったというのを聞き、なるほどと思いました。継母が悪く書かれがちな童話や里子が辛い目に合う洋画と異なり、日本の昔ばなしは良いなとあらためて思いました。

 それら考えたことを元に、いつ、どのように、どのくらいのペースで伝えるのかを考えました。
「自分達がそれを話題にする時に構えすぎないこと」をテーマに、あらたまった場所ではなく「日常の中で」「心がフラットな状態で」伝えたい。また、1度話して「告知は済んだ、終わり」ではないので、繰り返し伝えられるシュチュエーションで、できれば夫婦揃って話したいと思いました。そこで、年に1回誕生日の時に伝えることにしました。
加えて、子供が疑問を口にしやすい雰囲気づくりとして、日ごろから子供の話はちゃんと聞くこと、私自身が気持ちや考えを言葉にすることを意識してきました。夫は子ども達が起きる前に仕事に出て寝てから帰ってくる生活なので、子供が何か聞いてきた場合に対応するのは必然的に私一人になってしまいますが、できるだけその日にあったことはその日のうちに夫婦で共有するよう心がけています。

 実際どうだったか。
息子を初めて抱いた時、喜びはもちろんありましたが、「こんなに可愛い子を手放さなければならなかった実母さん」がどうしても浮かんで、正確には「同情」ではないんですが、なんとも言えない気持ちになりました。
10か月もお母さんのお腹で過ごしてきたのに、急に知らない夫婦のところに連れてこられて、この子がどんな気持ちか、ということも考えずにいられませんでした。
まず伝えたのは「お母さんと離れて辛かったね、もう大丈夫だよ。よく来たね、今日からここがあなたの家、なにがあっても私達が一緒だよ」でした。
今思えばこれが「ファースト告知」だったんではないかと思います。とにかくよく泣く子で抱っこ抱っこだったので、何度も伝えていたような記憶があります。
しかしこの頃、「私がママだよ」と言えませんでした。もったいないよとある先輩に励ましてもらったんですが、嬉しくて幸せいっぱいで毎日お世話を楽しんでいても、「私がママ」と自信をもって言うことができませんでした。
計画通り、1歳のお誕生日から伝えはじめました。
「お誕生日おめでとう!今日はおかわり君が〇〇ママから生まれた日だね。〇〇ママが産んでくれて、おかわり君がウチに来てくれて、お父さんとお母さんは本当に幸せだよ。生まれてきてくれてありがとう!」
初めての時は夫婦で顔を見合わせ、こんな簡単なこともしどろもどろでした。今ではほぼ定型文になりスラスラ言えます。
 2歳までは伝えてもこれといって反応はないですし、分かっているようないないような、でも嬉しそうにニコニコ聞いてくれるといった様子でした。

3歳頃からお誕生日以外のタイミングで息子の方から質問してくるようになりました。〇〇ママと実母さんのお名前をはっきり言ったり、「ママはどうして赤ちゃん生まれないの?」と聞いてきたり、「ママは誰から生まれた?お父さんは誰から生まれた?」と聞いてきたりしました。私の服の裾をまくって自分の頭を突っ込み、「バア もう一回生まれたよ」と言ったのは特に印象的でした。
発達の早い遅いはあると思いますが、3歳頃には「卵から生まれる」「お腹から生まれる」というのを理解できるようになるので、まず第一段階として「私のお腹ではなく実親さんのお腹から生まれた」ということが理解できたんだ思います。

4歳になると、さらに色々お話してくれるようになりました。
息子が赤ちゃんの時から事務局のお手伝いをさせていただくことがあり、お引渡し前の赤ちゃんをお預かりした時のことでした。ふいに「Aはどこに行くの?」と聞いてきたのでマザーさんがA君のパパとママのおうちに連れていくんだよと話したところ、「Aはパパとママの宝物になるんだね」と言いました。「そうだよ、よく分かったね!」とたくさん褒めました。
それ以外にも、おかわり君が生まれた直後の時のこととしか思えないことをお話しだして驚かされることや、「お父さんとお母さんは赤ちゃんが生まれなかったけど、良かったよね、ボクとおこめがいるから」と言ってくれ、私自身の「妊娠・出産できなかった」という思いが昇華されたような気持ちになったこともありました。
この年、幼稚園の母の日参観で、「お母さんのどんなところが好き?」という質問がありました。「優しいところ」とか「一緒に遊んでくれる」と答える子が多い中、息子は「ボクがいるのを喜んでくれる」と小さい声で答え、私は胸がいっぱいになりました。小さくても小さいなりに理解しているし、小さいからこそ素直に受け入れているのかなと感じました。
幼稚園でお友達との関わりが増える中で「他の子とは違う」という気付きもあったようです。「どうして実親と暮らせなったのか」という質問に、「どうしてだろうね、お母さんも詳しいことは知らないんだけど、こんなに可愛い子と離れなきゃいけないなんて、よほどのことがあったんだろう」と伝えると、「そういうこともあるよね~」と答えてくれました。
実母さんに送るアルバムやお手紙を用意していると、〇〇ママに送るの?と聞いてくることがあり、〇〇ママ元気かな?と言うので、「元気だといいね」と返しています。何かを教えるなど特別なことをしなくても、子供には実母さんへの思慕があるんだと思いました。
一方で、色々お話できるようになって分かった勘違いや失敗もありました。
息子が実母さんのことを話すのはお風呂タイムが多く、その時もいつもの調子で湯船につかりながら「ボクもおこめも〇〇ママから生まれたよね?」と言うのでビックリして「え、おかわり君は〇〇ママから生まれたけどおこめちゃんは△△ママから生まれたよ」と伝えると「ええー!」とそれはそれは驚いていました。
娘にも1歳からお誕生日告知をしていて、△△ママから生まれたというのを息子も一緒に聞いていたので、まさかそんな勘違いをしているとは思いもしませんでした。
「ごめんね言ったつもりだったんだけど」「おかわりくんは〇〇ママから生まれて、おこめちゃんは△△ママから生まれたよ」と、あらためてそれぞれに産みの親がいることを伝えました。
また、私が仕事で母に留守番を頼んでいた時、「ボクのママはどこにいるの?」と質問し、ばあばを動揺させたことがありました。帰宅した私に母から、どうしていいか分からなくなっちゃって「ママは今いるママだけでしょ」って変なこと言っちゃった、ごめん!と報告があり、いやこちらがごめんと謝りました。
私達は親兄弟との交流が多いにも関わらず、子供達に何をどこまで話しているかを共有していなかったことに気付きました。あらためて親兄弟に、私達がどのように話し、それを子供達がどこまで理解をしているかを伝え、今後何か聞いてくることがあったら慌てず、知っていることはそのまま話して良いし、知らないことは知らないと返し、そういうやり取りやあったことを私達に教えてほしいと話しました。
こちらが説明したつもりでいることと、本人が理解したことは違うということ、親の言うことが本当か、身近な信頼できる大人に確認したいという気持ちがあるのかなと思いました。

5歳になると、事務局のお仕事を見聞きする中で、生まれる赤ちゃんだけでなく実母さんにも目が向くようになったようでした。
ある時去っていく実母さんを見て、「Mちゃんは1人で帰るの?可哀想だよ、一緒に住めないの?」と言ったりすることがありました。Mちゃんはお兄ちゃんを育てないといけないしお仕事もあるでしょ、頑張るって言ってるからお母さんはそれを応援するよ、と話したりしました。「ボクは〇〇ママに会ったことある?」などと聞いてくることもありました。2歳の時にシンポジウムで再会しており、アルバムにその時の写真があるため一緒に確認しましたが、覚えてないな~と言ったていました。
記憶は薄れていくので、写真や日記など形に残しておくのは大切だと思いました。

ある夜、添い寝していると急に「生まれた時のこと知りたいの」ということがありました。いつもと違い、ちょっと困惑したような不安げな顔で矢継ぎ早に質問するので、どうしたのか聞くと、「前にも聞いたかもしれないけどさ、もう一回聞きたいの」と本人は真剣でした。一つ一つ答えると「そうか~」と安心したような顔をして、答え合わせをしているような様子でした。
普通は産みの親と暮らすものだということを理解して、「なぜ?」という疑問も深まったように感じました。それまでに見聞きしたことが繋がったのかもしれません。

6歳になって、ある日のやはりお風呂タイム。実母さんの話をしていたおかわり君が、急に「〇〇ママにお手紙書く」と言ってお風呂を出ていきました。パンツ1枚で何か真剣に書いているなと思ったら、「ママ、見て!」とこの紙を見せてくれました。自由帳から1枚紙を切り取って、表に〇〇ママの絵が、裏に「~くんを産んでくれてありがとう」と書かれていました。思いがけないことに思わず涙ぐんでいると、「ママ、どうして泣きそうになってるの、あ、感動しちゃった?」と言って笑わせてくれました。実母さんに送りたいと言うので、私からのお手紙も添え、翌日一緒に郵便局へ行って出しました。本人は出せたことに満足した様子で、しばらくは「届いたかな?」と気にしていました。
また、何かを話していたとかそういう前置きもなく、ふいに「お父さんとお母さんがいて良かったよ、育ててくれてありがとね」と言ってくれたこともありました。「何言ってるの、こっちがありがとうなんだよ、おかわり君がいてくれてこんなに幸せなんだから」と言い、思わず息子を抱きしめました。
かと思えば… 寝る前のご本をもう1冊読んで~とか、もう寝る時間は過ぎてるからまた明日とか、そんな他愛もない日常のやり取りから「こんな家族つまんない!ボクは家族から抜けたい!」と言うことがありました。これには大人げなく声を荒げ、「家族から抜けるって何!?やれるもんならやってごらん!おかわり君がどう言おうとおかわり君の家族は私達しかいない」と怒ってしまいました。情けない限りですし、今からこんなことでこの先大丈夫?思春期なんかどうするのと不安ですが、これが「私がママ」となかなか言えなかった私か?と、ちゃんと母になれたのかなとも思いました。これからも息子と向き合おうと思います。

真実告知とおかわり君の理解に影響をあたえたかもしれない出来事も紹介します。
① 1歳になる手前だったと思いますが、生まれた産院を見学させていただきました。
 完全に親バカですが、「ここで生まれたんだよ」とお話すると、ちゃんと聞いて考えてるような顔して、分娩室のドアに手を伸ばしたりしていました。その時の写真をアルバムに入れているので、それを繰り返し見ていました。
② 実親さんのサポートや赤ちゃんのお預かりを通して、生まれた赤ちゃんが養親に引き渡されるまでの流れを見聞きしきたことは理解を深めてくれたと思います。
③ その他、二人目の該当があったことはもちろん、ブロック内にお引渡しがあった際に、「お迎え隊」として駅に駆け付けたことも、おかわり君もこうやってマザーさんが連れてきたんだとイメージしやすく、良い経験になっていると思います。

 まとめです。
◆私たちのやり方・考え方は「真実告知」というより「テリング」という方がしっくりくるかもしれません。テリングは2005年前後から使われている言葉で、「育て親が子どもに、生みの親が存在する事実とそれに関わる事柄を日常生活のコミュニケーションを通じて語り続ける親子の共同作業」とされています。
 テリングを通じて、親が子どもに示す「伝え続け、聞き続ける」という態度こそが重要だとされています。
◆自分達の経験を振り返って、早い方が良いというBabyぽけっとの方針と諸先輩方の意見に同意します。赤ちゃんを相手に話す方が言いやすいです。しどろもどろでも、うまく言えなくても赤ちゃんの頃はニコニコ聞いてくれます。頭の中で考え抜いた言葉でも、声に出して自分達の耳で聞いてみると、思っていたのと違うとか言いやすさ言いにくさだったり、気付けるので次の機会に向けて修正することができます。そうして練習も兼ねて繰り返しお話していくことで、子供が3~4歳になり、理解したり質問できるだけの言葉を身に着ける頃には、親の方も落ち着いて話す準備ができていたという印象があります。子供がある程度理解できるようになってから伝えたいという意見も聞きますが、小さいうちの方が衝撃が少ないという意見もあります。私は、小さな頃からの積み重ねと子供の発達とが合わさって、だんだんに理解が深まっていくのかなと感じています。
◆「赤ちゃんは何も分かっていない」と私には思えませんし、告知しようとしたら子供に「知ってる」と言われた、という話も先輩方から複数聞いています。子供が来てくれた時からその子の気持ちに寄り添うことは家族になるステップとして大切ですし、告知を先延ばしにするメリットを私は感じません。
◆待機の方からは「子供がいないし真実告知のことは分からない」とか、ファミリーからは「なかなか言い出せない」と聞くことがあります。具体的に計画しなければ、時間は矢のように過ぎ去り、巻き戻しできません。「あの時がチャンスだったのに」と後から思うこともあると思います。子供の反応を見ながら、その子に合った方法を模索していけば良いし、まずやってみなければ何も始まりません。自分達にとって伝えやすい時、場所、方法をあらかじめ準備することをおすすめします。
◆夫婦の数、子供の数だけ真実告知があると思います。我が家の息子と娘でも反応が違いますし、その反応から考えたり悩んだりしてきました。
 これからも子供達と向き合い、皆さんのお話を聞かせていただき学びながら、伝え続け、聞き続けていきたいと思います。

最後に1つお願いがあります。
今回の発表にあたり、当事者である息子にはスライドを見せながら内容を確認し、今日皆さんの前でお話することも了承を得ております。が、とっても繊細な子です。ふいに「お母さんに聞いたよ」「おかわり君だよね?」などと声をかけられると、驚いたり傷ついたりすることもあるかもしれません。
息子と面識がない方は、まず「はじめまして」のステップから少しずつ息子と仲良くなっていっていただけたら嬉しいです。すでに息子を見知っている方は、今までと変わらない接し方をしていただけたらありがたいです。打ち解けた間柄になり、場もほぐれた時になら、色々質問にも答えられますし本人なりの思いや考えも話せると思います。勝手なお願いですが、どうぞよろしくお願いします。

最後の最後になりましたが、マザーさん、スタッフの皆様、Babyぽけっとに関わる全ての皆様、私達を家族にしてくださって、このような場を設けてくださってありがとうございました。ご清聴ありがとうございました。

TOP