ぽけっとパーク

真実告知体験談

ケースNo.5

◆告知実施日及びその場所:2010年 6月・12月 夜 自宅
◆当時の子供の年齢:3歳
◆家族構成:父・母・息子・娘
◆実際告知した人:母
◆使用した絵本
「ねえねえおしえてわたしのうまれたよるのこと」
「ふたりのおかあさんからあなたへのおくりもの」
「どうして私は養子になったの?」

◆告知内容は?

我が家は現在5歳の男の子・ryomaと2歳の女の子・haruのご縁を頂き、4人家族にして頂きました。毎日賑やかに暮らさせて頂いております。現在年長児のryomaの告知についてお話させて頂きます。

ryomaに告知を始めたのは2歳半からです。漠然と3歳位からかと思っていましたが、少し事情があり早めに始めました。
と申しますのは、当時4歳上の姪を平日ほぼ毎晩預かっていて、ryomaを我が家に迎えた日も当然姪は家にいて、赤ちゃんのお世話をしたくてしたくてそれは大変な張り切りようでした。姪もまだ兄弟がいなくてとても嬉しかったようです。よくお手伝いをしてくれ、あやしてくれていました。
ところがryomaも2歳になりお喋りも早く、一丁前にぺらぺら喋るようになりました。自我も芽生え始め、二人でケンカも始まりました。お互いなかなか気が強く、姉弟のように真剣に遣り合っていましたので、ケンカの延長で姪の口からryomaに伝わる前に話しておきたかったのです。

マザーさんに相談して、まずは絵本の読み聞かせから始めました。用意した絵本は「ねえねえおしえてわたしのうまれたよるのこと」、「ふたりのおかあさんからあなたへのおくりもの」、「どうして私は養子になったの」の3冊でした。取り寄せて読んでみて「ねえねえ・・・」なら解り易いかなと寝る前の読み聞かせ2冊の内の1冊に読むようにしましたが、始めの内はよく聞いているのですが、繰り返しが多く途中で飽きてしまうので少し間隔を空けて読みました。が、読み始めると同じことで、あまり興味を引かなかったようです。他の絵本も読んでみましたがまだryomaには難しいようでした。2歳8ヶ月で幼稚園の2歳児クラスに入園し、もっぱら興味は新しい世界に向いていたかもしれません。物語やしまじろうの話を好んでいました。

3歳になったら話し始めようと思っていましたので、3歳を迎え、いつ話そうかチャンスを伺っていました。できればryomaと2人、落ち着いた気持ちの時に話したかったからです。ある晩、おもちゃで遊ばずにゆっくりと湯船に浸かっていた時、今かなと話し始めてみました。

“ryoちゃん、赤ちゃんはお母さんのお腹から産まれるって知ってる?”そんな話し始めだったと思います。妊婦さんのお腹に赤ちゃんがいることをよく知らなかったので、そこから話しました。“ほら○○ちゃんのお母さんはお腹が大きいよね。あのお腹の中には赤ちゃんがおるのよ。みんなお母さんのお腹の中で大きくなって産まれてくるの。ryomaもそうやって産まれて来たのよ。でもね、お母さんのお腹じゃ赤ちゃんが育たなくて、お母さんは赤ちゃんを産むことができなくてね、ずっと神様に赤ちゃんを下さいってお願いしてたの。そしたら神様がマザーさんに、このお家に来る赤ちゃんが産まれましたよって教えてくれて、マザーさんが産まれたばかりのryomaを病院に迎えに行ってくれて、飛行機に乗ってryomaをこのお家に連れて来てくれたのよ。だからryomaには産んでくれたお母さんと、このお母さんとマザーさん、3人のお母さんがいるのよ。みんながryomaのことをいつも見守ってくれてるよ。ryomaを見守ってくれるお母さんが3人もいてryomaは嬉しいね。”“うん”“お母さんはryoちゃんがお母さんの子供になってくれて嬉しいよ”“ryoちゃんもお母さんの子供で嬉しいよ”

ゆっくりと穏やかな口調で重くならないように笑顔で話しました。多分話の半分も解ってなかったと思います。いつもの会話と違うことに“あれ?”って感じだったと思います。ryomaの返事はいつもの受け答えの習慣というところでしょう。初回は短く切り上げ、すぐお風呂遊びをしました。

まだ3歳になったばかりでよく理解してないこともあってか、ryomaの様子に特に変わったところはありませんでした。少し間を空けながら寝る前のお布団の中やお風呂で何度か同じ話をしました。そうしているとryomaには“複数のお母さん”よりも赤ちゃんが産まれるということに興味がいったようで、ある日“僕、赤ちゃんが産みたい。”と言いました。おっ、そう来たかあ。お母さんという存在に憧れたのかな?とても素直な可愛い反応だと思いました。もう少し大きくなって事が解り始めてから話してたらきっとまた違う反応なのでしょうね。

“そっかあ。ryoちゃんは赤ちゃんが産みたいのかあ。いいねえ。お母さんも産んでみたかったなあ。みんな赤ちゃんが産める訳じゃないけど、そうかあ、ryoちゃんも作ることはできるかもね。”そんな風に答えると“うん!”と笑ってくれました。
何度目かの話をする時に“ryoちゃんを産んでくれた、ryomaに命をくれたお母さんはね、本当はryomaを育てたかったのよ。一緒に住みたかったのよ。でもね、それができなくて今は遠くからryoちゃんのことを見守ってくれてるのよ。”少しずつ話の内容を増やしていきました。そして必ず話の終わりに“お母さんはryoちゃんが子供で嬉しいよ。ryoちゃんはお父さんとお母さんの宝物よ。”とryomaが不安にならないように話をしました。

しばらくしてマザーさんから2人目の該当を頂きました。前の会では基本的に子供は一人。多くの子供を待ち望むご夫婦に少しでも多く家族になって貰うよう兄弟の該当は無いと理解しておりましたので、打診を受けた時には天にも昇る気持ちで、今か今かと逸る気持ちを抑えながら日々を過ごしておりました。そして2人目の該当が現実となり、ryomaには家族の成り立ちを解って貰うとても良い機会だと思いました。
“ryoちゃん、ryoちゃんに妹ができるよ。赤ちゃんがお家に来てくれるよ!”“えっ?赤ちゃん?!”大喜びです。“マザーさんが飛行機に乗って赤ちゃんを連れて来てくれるよ!”“やったあ!”
その頃同居していた義父の病気が進み、意識障害や認知症が始まっていたり、私の実家の父もICUにいたりで大人の世界では複雑な問題が起こっていたのですが、ryomaは無邪気に“赤ちゃんが来る♪”と喜んで言って回っていました。幼稚園でもきっと先生やお友達に言っているのだろうなと思いましたが、敢えて規制はしませんでした。

実はryomaは2歳前からお友達に手が出てしまい、通っていた支援センターの先生にも相談していましたがなかなか治らず悩んでおり、入園に際しても親のいない集団生活に入ることで良い方向に向かう様、園の先生に相談しての入園でした。なので最重要項目はそこであり、養子であることは園には伝えていませんでした。またマザーさんにも相談し、小学校の先生には言っておいた方が良いけれど園ではまだいいでしょうとのことでした。
只、赤ちゃんが産まれるのではなく飛行機で来るとは、聞かされた先生やお友達も混乱するでしょうし、私のお腹もペッたんこですから、兄弟として養子を迎えることを先生に報告しました。ryomaが養子であることはryoma自身がしっかり理解してから園に伝えたいと思っておりました。

ここで疑問に思われる方がおいでるかと思います。少し前に一緒に暮らし始めてから実親様の下に帰られた赤ちゃんのケースがあったように、ryomaを迎えた当時も同じようなケースがあった後でした。BPになってから周囲にも早く特別養子縁組であることを伝えるよう指導されていると思いますが、当時は迎えて一ヶ月位はあまり多くの方に知らせないほうがいいだろうと勧めて頂いておりました。
親しい方や職場の方、ご近所の方などにはお知らせしていましたが、親戚でも滅多に交流のない方や、また検診などで知り合うお母さん達には特にお話をしていませんでした。

直接お伝えしてなかった親戚や知人なども人を介して伝わっていたり、私と夫、また双方の両親なども伝えたい人の認識はそれぞれなので、私達親子と直接接点のない方が知っていたり、逆に接している方に伝えていなかったり、この件に関しては何とも座りの悪い状態でした。
敢えて言って回ることもないかなという認識で、話がそういう向きになればお話しし、聞かれれば答えるというスタンスで現在に至っております。実際幼稚園の先生にお話したのはryoma本人がきちんと理解した昨年、年中さんになってからです。こうして年長児を持つ親として事例をお話しておりますが、周囲への告知については、迎えてすぐフルオープンにして来なかった為、皆さんより後を行く現状でしょう。大事な人に理解してもらえていればいいかと現段階では考えています。今後成長していく中で子供達の性格等によってどういう形がいいのか見極めていこうと思います。

さて、話を元に戻します。ryomaは妹を迎える準備を張り切って一緒に手伝ってくれ、空港へも勿論一緒に意気揚々と迎えに行きました。耳で聞いていたことを実際体験した訳ですが、赤ちゃんを迎え、妹が出来た興奮で自分の事と摺り合わせ出来たのは多分しばらく経ってからの事だと思います。何しろミルクのお世話やオムツ替え、沐浴の準備とお手伝いが忙しく、よだれが出た!ウンチだ!とそれはそれはいそしく過ごしており、ryomaを迎えた時の姪の様子そのままでした。

最初に話し始めてから半年位経ってからでしょうか。ある日お布団の中で私のお腹に丸まるようにして私のお腹に手を当て、“ryoちゃんはお母さんのお腹の中から産まれたんだよね?”と聞いてきました。あっ、理解したんだな。そう思いました。お友達のお母さんを見たり、赤ちゃんが産まれた話を聞いたり、また妹を迎え、都度私には言いませんがどういうことなのかryomaなりに理解していったのでしょう。
“ryoちゃんはお母さんのお腹から産まれたかった?”“うん”“そうかあ。お母さんもryoちゃんを産みたかったなあ。前にもお話ししたけどお母さんのお腹はね、赤ちゃんを産めないのよ。産めなかったけど、ryoちゃんと一緒にいれてお母さんは嬉しいよ。ryoちゃんは?”“うん、僕も嬉しいよ”特に泣く訳でも喜ぶ訳でもなく淡々とした会話で、ryomaはすぐ眠りにつきました。

またしばらくしたある日“僕はね、女に産まれて赤ちゃんを産みたかった”と言いました。誰かに女の人しか赤ちゃんが産めないと教わったのでしょう。純粋に身近な存在に憧れてくれるryomaを可愛らしく思い、特に性差を教えずにきておりました。“そうかあ、ryoちゃんはお母さんになりたい?”“うん!”可愛いものです。
“お母さんはね、赤ちゃんを産めなかったけど、こうやってryomaとharuちゃんと家族になれてとっても幸せよ。色んな家族があって、色んな幸せがあるのよ。”
実際には多くの葛藤を乗り越える試練が必要でしょうが、違いを否定したり悲観せず、認めていければいいと願っております。余談ですが、夫は嫌がりますが、私は将来ryomaがMr.レディになっても認めてあげたいと思っています。

妹ができたことで産んでくれたお母さんのお名前を教えました。“ryoma”を産んでくれたのは○○お母さん。haruを産んでくれたのは◇◇お母さん。”
年中さんになり、お友達とお手紙交換をするようになっていましたので、実親様にアルバムをお送りする際にryomaからのお手紙も添えさせて頂きました。“○○おかあさんへ。うんでくれてありがとう。ryoma。”短い手紙です。

ryomaを産んで下さったお母さんは、当時高校一年生のとても若いお母さんです。ryomaが手が出て困っていた話をした時に、マザーさんが“DNAが若いからね”と仰られた若さです。故に出産後の将来を考えてご家族に押し進められる形で養子に出されたとお伺いしています。ご自身で育てたいお気持ちが強かったようです。そんなこともあってか、ryomaのアルバムは最初の一冊はご覧頂いたようですが、以降実親様のお祖母様のところで止まり、実親様もご両親もご存知なかったそうです。残念なことですが、今もアルバムも手紙もご覧頂けているかどうかは定かではありません。

一方haruの実親様はお手紙やプレゼントを送って下さいます。実のお兄さん達も一緒にアルバムを見てくれてプレゼントも選んでくれるようです。ryomaは“僕には?”と聞きます。“ryoちゃん、お母さんも色々だからみんなプレゼントを送ってくれる訳じゃないのよ。でもね、みんな遠くからずっと見守ってくれてるのは同じよ。”ryomaは納得していないかもしれませんが、haruの実親様やお兄さんの話をryomaにするようにしています。
後日マザーさんが実親様のお家に連絡を取って下さった際、実親様のお母様が“贈り物をするのは養親さんに悪い気がして。もうiyomodoki家の子だから。”と仰られていたそうです。この暖かいお気持ちをもう少し大きくなってからryomaに伝えたいと思います。

ryomaはお調子者というかお茶らけたところがあって、“ryomaを産んでくれたお母さんは誰?”と聞くと“マザーさん!”と答えたりして、テレというか、お子さんにもよると思いますが、きっと男の子は結構繊細なのかなと感じています。

昨年夏、今年初めと続いて私達夫婦の子供のいない時期を癒してくれていた犬が亡くなりました。また2月には義父が亡くなりました。友引を挟んだので長くなったのですが、亡くなってから4日間、ryomaはずっとおじいちゃんの夜伽をしてくれ、お葬式・火葬のときにはご住職さんが驚かれるほど泣いていました。今も斎場の前を通って看板が立っていると“今日は誰か死んだんだね。可愛そうだね。”立っていないと“今日は誰も死んでないね。良かったね。”と言います。“おじいちゃんはね、■■や▲▲ちゃん(犬の名前)のいるところへ煙になって行ってお空から見てくれてるよ。”昆虫採集や食べ物も含めて、只今生と死を学んでいる最中です。

haruは言葉がゆっくりめなのでまだ本格的な告知はしばらく先になりそうです。最近「ふたりのおかあさんからのおくりもの」を時々読み聞かせしています。ryomaは理解できているかなと感じますが、haruはまだまだこれからです。haruはつい先日実親様からのプレゼントが届いた日に、理解はできないだろうけれど、“haruを産んでくれたお母さんが送ってきてくれたよ。大きいお兄ちゃん達がharuの好きなキティちゃんを選んでくれたんだって。”と話しました。“うん”と一応返事はしましたが、ほぼ無反応、それより目の前のキティちゃん!でした。

子育てにおいて上の子を尊重してあげて上手く育てられたら下の子も後を付いていくと聞きますが、告知についても上の子に肯定的に捉えてもらえていれば下の子も上手くいくのではないかと思っています。これから成長していく中でどうなっていくのか想像がつきませんが、“あなたたちに出会えて、家族になれて幸せだよ。ありがとう。”と、それだけはずっと伝え続けていきたいと思います。

最後に、♪あのね、ママぼくどうして生まれてきたのか知ってる。という歌をご存知の方も多いと思います。ryomaが好きでよく歌ってくれるのですが、“あのね、ママぼくどうして生まれて来たのか知ってる。ぼくねママに会いたくて生まれてきたんだよ。”
きっとここにいる子供たちは欲張りさんで、3人のママに会うために生まれてきてくれたのだと思います。

H24.6 シンポジウムにて当時5歳のryomaについてお話させて頂いた原稿です。最初はシンプルに話し、時々出てくるryomaの疑問に答えたり、BPの皆さんと交流する場に出かける前などに説明したりして少しずつ内容が深くなっています。“告知”という言葉を聞くと衝撃的な事実を一度に話すようなイメージもしますが、これからもずっと、ryomaが人の親になってからもお互いに話していくことでしょう。
命を与えられた幸せを心の底から感じていて欲しいと願っています。
これからお話をされる皆さんに少しでも参考になれば幸いです。

H25.4 iyomodoki

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