ぽけっとパーク

真実告知体験談

ケースNo.6

◆告知実施日及びその場所:2012年3月
◆当時の子供の年齢:4歳7ヵ月
◆家族構成:父・母・長男・二男・長女(告知当時は二男まで)
◆実際告知した人:母

◆告知内容は?
(H25年シンポジウムでお話しした内容です)

皆さんこんにちは、今回は長男への告知についてお話したいと思います。ハンドルネームは。はなです。

私達は不妊治療に終止符を打ち、夫婦2人の生活も幸せでしたが、「子育てをしたい、子供とともに人生を歩んでいきたい」と思う気持ちが強く、そんな中、導かれるようにして養子縁組の道を選びました。

岡田さんから3人の子供たちとのご縁を授けて頂き5人家族となり、賑やかで幸せな有り難い毎日を送らせていただいています。

まず、子供たちの紹介をしたいと思います。

6年前の夏に長男ガッチャマンとのご縁を頂きました。今は5歳で幼稚園の年長組で、8月に6歳になります。色んな事に興味津々で元気いっぱいの逞しい男の子です。この会場に沢山の方がいらしてテンションも上がり、はしゃぎすぎて何か粗相はないか気がかりな所です。
ガッチャマンとのご縁をいただいた2年半後に二男ゼロとのご縁を頂き今は3歳になります。4月から幼稚園に入園し、年少組になりました。ちょっと言葉は遅く、控えめなところもありますが、元気いっぱいの男の子です。
末っ子の長女あいちゃんは去年ご縁を頂き、今は1歳3ヶ月になります。2人のお兄ちゃんの中にいて逞しく鍛えられつつも、華やかさと穏やかさをもって和ませてくれる可愛い女の子です。

ガッチャマンとのご縁を頂いた時には本当に有り難く幸せで、その時にはまさか3人の子供たちの親になれるとは思いもしませんでした。3人の子供たちとの日々は慌ただしくもありますが、賑やかで楽しく、何気ない日常が幸せであり、言葉にできないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
でも、そこには3人の子供たちの実親様が抱えた計り知れない辛さや寂しさがあり、子供たちの幸せを願いながら苦渋の決断のもと私達に託していただいたからこそ、今の私たち家族の幸せがあるという事をいつも心に留めています。実親様が我が子の幸せを願う想いの分まで私達は子供たちに沢山の愛情を込め、共に人生を歩んでいきたいと思っています。

子供が成長していく中で、告知の時期について考えるようになりました。面接を受けた時に、「告知は小学校に上がるまでには済ませたほうがいい」ということを聞いていたので、日々成長していく小さな愛しい我が子を見ながら、その時がきたらどんな風に伝えればいいのか、どのタイミングがいいのか、そして告知をどんな風に受け止めるのだろうかと気がかりになっていました。ですがしっかり愛情を込めて大切に育てていくことで親子としての信頼関係や絆も深まり、「きっと大丈夫、子供なりに受け止めてくれる」と漠然と思っており、私達も子供たちの思いを全てを受け止めて行こうと思っていました。

今は既に長男への告知を始めています。長男への告知の始まりは、改めてというよりは2人の兄弟を迎えていますので、二男を迎える準備をすることを機に少しずつ始まったように思います。
最初の縁組みから月日は流れ、ガッチャマンははすくすくと成長し周りからも沢山の愛情をもらい、優しく逞しい男の子に成長してくれました。この子が持つパワーは本当に大きく、小さな身体で沢山の人に笑顔と愛を分け与えて幸せにしてくれ、私達は毎日を感謝の思いで過ごしてきました。

ゼロとのとのご縁を頂いたのは、ガッチャマンが2歳7ヶ月の時でした。普通だったらお母さんのお腹の中に赤ちゃんがいて10月10日かけて大切に育まれ、だんだん大きくなって兄弟の誕生となり、「自分はお兄ちゃんになる」という自覚が出てくることでしょう。ですが養子縁組は兄妹が突然やってくるわけで、少しでも心の準備をさせてあげようと思いました。ガッチャマンは小さいときからおしゃべりも早く理解力もいい方でしたので、大きくなっても弟を迎えたことをきっと覚えているだろうと思い、告知をする上で次男を迎えるまでの時間は大切だと思っていました。
そのためご縁の連絡を受けた時から兄弟ができたことについて話をしていき、これまで以上にスキンシップを図ることを心がけていきました。「ガッチャマン、赤ちゃん好き?」と聞いたら「好き」と答え、「兄弟ができたんだよ、赤ちゃんが産まれたよ!」と話をしました。兄弟という意味もよく分かっていないと思ったので、お友達の兄弟を取り上げて「兄弟って?」ということについて説明しました。すると、「赤ちゃんは男の子?女の子?」と聞いてきたので、「男の子よ」と言うと「女の子が良かった」というのが第一声でした。それから岡田さんから送っていただいた、まだ保育器に入っている弟の写真を毎日見せてお話ししました。二男を迎える前には名前を覚えてくれていました。
二男を迎えてからは「赤ちゃん可愛い」と言いながらお世話をしてくれたりする反面、焼きもちも大きかったです。ですが普通に兄弟が誕生した家庭と何ら変わらない子供の反応だったと思います。
数日が経ってゼロとの生活に慣れた頃、ガッチャマンに私達がガッチャマンを我が家へ迎えたときの話をしました。弟のときと同じように岡田さんがお父さん、お母さんの元に連れて来てくれて、お父さんとお母さんが空港までお迎えに行ったことを伝えました。長男には「初めて会った時も嬉しかったよ。小さくて可愛かったよ。初めて会ったときは『小さい、可愛い~!家に来てくれてありがとうね』と思ったよ」、と抱っこしながら長男と出会ったときの沢山の喜びや愛しい思いを伝えました。
赤ちゃんが「普通に生まれる」という事を良く理解していない時期だったので、長男は「弟と同じようにしてうちの子供になった」と思っているように感じました。

ガッチャマンは言葉も早かったので胎内記憶について聞いてみたことがあり、その時には「覚えていない」と言いましたが、その後の日常生活の中で胎内記憶と思われることを2回言いました。
1回目は3歳5ヶ月の時、一緒にキッチンで後片付けをしている時でした。「ガッチャマン小ちゃいとき寂しかった」何で寂しかったの?と聞くと「岡田さんとむぅちゃんがいなくて一人で寂しかった」と言い、「どこで?」と聞くと「病院」と言いました。
2回目はその1ヶ月後頃にお父さんと車で出かけ、ナビを扱っている時でした。海の方にナビを自分で移動してしまった時に、お父さんから「そこは海だよ」と言われた時に、「ガッチャマンは小ちゃい時に海で溺れてたら、岡田さんが抱っこしてくれた。岡田さんがお母さんにハイって渡してくれた。お母さんは裸ん坊だった」と言ったそうです。
長男は出産間際までまで実母さんに気づいてもらえずに産まれてきたことが、そういう思いとして言葉になったのかなと感じました。誕生後、岡田さんの元に託されるまでの出来事もそのような言葉になったのかもしれません。今はその時に言った言葉は覚えていませんが、潜在意識の中に寂しさや不安を抱えているのかなという思いもあります。私達と家族になるために実母様から生まれて来てくれた尊い命ですし、「困難を乗り越えて産まれて来てくれてほんとうにありがとう」という思いでいっぱいなので、いつも抱っこして「生まれて来てくれてありがとう、お父さんお母さんの子供になってくれてありがとうね」と、思いを言葉にして伝えています。

二男を迎えてゆっくり告知を始めてから特に大きな変化はなかったのですが、元々の甘えん坊が焼きもちも加わり、更に甘えん坊になったようでした。4歳3ヶ月の時に家に帰って来て好きな工作をしている時に「ガッチャマンはお母さんから産まれたんだよね。赤ちゃんはお母さんのお腹の中で長い紐で繋がっていて外に出て来たらハサミでチョキンと切るんだよね」と言いました。よく知ってるねどうして分かったの?と聞いたら、「幼稚園の他のクラスの絵本の中に赤ちゃんの誕生の絵本があり、それを見て知った」との事でした。「お母さんから産まれたんだよね」と言われた時にはドキッとしました。それまで幼稚園のお友達のお母さんがお腹が大きくて兄弟が産まれても、自分や弟の誕生と結びつけて考える事はまだないようで聞いてくる事もなかったからでした。
こんな風に言ってきた今がしっかりとした告知の時かなと思いましたが、その時は赤ちゃんの誕生について話をしただけで、「お母さんから産まれて来たんだよね?」、の問いには「そうだよ赤ちゃんはお母さんのお腹の中で大きくなって産まれて来るんだよ」という一般論的な感じで話しました。

その2週間後、お風呂で「弟が出来た時の事覚えてる?」と聞いたら「岡田さんが持って来てくれた」と言い、「弟が出来たときどんな気持ちだった?」と聞いたら、「嬉しかった」と言いました。「まだ兄弟がほしい?いたらいいなと思う?」と聞いたら「ほしい、5個でもいいよ」と言いました。「5人ね、そんなにいたら楽しいよね」と話をしました。
さらに1週間後、パソコンでアルバムを見ている時に、小さい頃の写真を見ながら「赤ちゃんの時の事覚えてる?」と聞いたら、「岡田さんが持って来てくれたんでしょう?だってゼロくんと同じでしょう?、同じかなぁと思って」と言いました。このように思っているという事は、3週間前の「お母さんから産まれたんだよね」との問いかけは、産んでくれたママのことを言っていたのかなとも思えました。

その後、4歳7ヶ月の時に改めて告知をしました。それはあいちゃんを妹を家族として迎えると決まった時でした。弟のときと同じように写真を見せて妹の話をしていました。弟のときは何となく理解していましたが、今回妹を迎えるにあったて「今が赤ちゃんの誕生から家族となるまでについて話し、告知をする一番いいタイミングかな」と思いました。
一緒に遊んでいる時に、膝の上に抱っこして話をしました。
「お母さん、ガッチャマンに話があるの。赤ちゃんはお母さんのお腹の中で大きくなって産まれるって知ってるよね。」
「うん」
「だけどお母さんは、お腹の中では赤ちゃんを育てる事ができなかったの。でも子供が大好きでお父さんお母さんになりたいなと思ってたの。お父さんお母さんになれますようにってってお願いしてたら、岡田さんがガッチャマンが生まれましたよって教えてくれたの。ガッチャマンを産んでくれたママは赤ちゃんだったガッチャマンが可愛いと思ったけど、どうしても育てる事ができなかったの。ガッチャマンはお母さんが産む事は出来なかったけど、お父さんとお母さんの子供になるために生まれて来てくれたのかなと思うよ。生まれて来てくれて本当にありがとうね。
ガッチャマンに初めて会ったときは本当に嬉しかったよ、小さくて可愛い~と思ったよ。家に来てくれてありがとうねと思ったよ。ガッチャマンのお父さんお母さんになれて本当に幸せだなと思うよ。
ガッチャマンのこと大好きだからね、お父さんとお母さんの宝物だよ。生まれて来てくれて本当にありがとうね。」

と愛する思いを沢山伝え、ぎゅうと抱きしめました。話をうなずいたりしながら静かに聞いていました。質問などなく、話し終わったら、「もういい?また後でね。」と言い、膝の上から離れておもちゃで遊んでいました。

弟を迎えた時の事を覚えていて、自分も同じようにとは知っていましたが、今回の告知では「生んでくれたママがいる」ということを初めて言葉にして話しました。どう思うのだろうかと気がかりでしたが特に聞いて来る事はありませんでした。お父さんはその時はいなかったのですが、告知した事を伝え、様子を見守ってくれました。

幼稚園年少の終わりの春休みに長女を迎えたのですが、急に兄妹が増えたことを周りのお友達に何か言われたりすることが気がかりでもあり、幼稚園の先生にも告知した事を伝え、一緒に見守ってもらいました。
その後妹を迎えたときは特に大きな変化はありませんでしたが、10日ほど経った朝、長女にミルクをあげている時に、「ねえ、お母さん。ガッチャマンを最初に岡田さんからもらったんでしょう」と朝目覚めたら突然言いました。「そうね、ガッチャマンが最初にお父さんお母さんの子供になってくれたね、ありがとう。」と長男と出会えた事の幸せを沢山伝えました。そして、「お母さんが生んであげられなくてゴメンね。」と言うと「何もしてないのにゴメンねじゃないでしょう」と言いました。その後は妹の事を「赤ちゃんが生まれたんだよ、あいちゃんだよ。」と嬉しそうに私の知人に妹の事を紹介してました。
幼稚園では「赤ちゃんが生まれたんだよと先生に言ったよ。」と報告してくれました。
またBPの説明会や面接会に参加させていただく機会があり、その時はちょうど父親参観の後に行く事になり、幼稚園からの帰り道で、「これからガッチャマンやゼロやあいちゃんが赤ちゃんの時お世話になった人に会いに行くんだ。」とお友達に話をしていました。「赤ちゃんの時に岡田さんやおばあちゃんやむぅちゃんにみんなお世話になったんだよ。」と話をしていたからかもしれません。
説明会に参加するときに、「ここに来ている子供たちもみんな家と一緒だよ、そうやって家族になったんだよ。みんなが兄弟みたいなものだよ。」と話しています。「そうなんだ。」というだけで、特に何か聞いて来る事はありませんでした。

しばらくして、「お父さんとお母さんのお母さんは誰?」と聞いて来たことがあり、それぞれの実家の祖母であり父は祖父である事を話しました。また、「子供が生まれないとお父さんお母さんにはなれないの?」ともよく聞いて来ました。

告知から半年が経ち、「あのさあ~、あのさぁ~お母さん、お父さん」とためて話すような言い方をしながら、何でもないようなことを聞いて来たりすることがありました。きっと何か聞きたい事があるのだろうなと思っていました。「何か聞きたいことがあったら何でも言っていいからね。」と、自分から話してくれるのを待ち、見守っていました。

3ヶ月が程経ち、皆で夕食を摂り食卓に座って話をしている時に、「お父さんお母さんはいいな、生んでくれた人にいつでも会えるから。」と言い、何だか少し硬い表情でした。「ばあちゃんのこと?」と聞くと「うん」と言いました。
いつも「あのさぁ~あのさあ~」と問いかけていたのは、「産んでくれてママに会いたい」という思いを言いたかったのだろうと直ぐに思いました。
ガッチャマンに、「産んでくれたママに会いたいと思う?」と聞いたら「会いたい。」と言いました。「そうだよね、会いたいよね、今は会えないけどガッチャマンが大きくなって会いたいなと思ったら会えるようにしてあげるからね」と言うと、何だかすっきりとした表情になっていました。
「何でも聞きたい事があったらいつでもお父さんお母さんに言っていいからね。」と伝えていますが、産んでくれたママに会いたいという漠然とした思いや、知りたいという思いがあり、それをうまく伝えられず、または遠慮していた気持ちもあるのかなと思いました。普段は元気いっぱいの男の子ですが、やっと私達に伝える事が出来た5歳の幼い心の葛藤を思うと、普通に会話をと思いながらも心をギュウと抱きしめてあげたい思いでした。その後は、以前みたいに「あのさぁ。」とためて話すような事はなくなりました。ガッチャマンの心の中でつかえていた何かがとけたのかもしれません。

今回初めてアルバムを実母さんに送っている事をガッチャマンに言いました。ガッチャマンの成長を見守ってくださっている事やアルバムを送っている事を伝えました。工作が好きなので、産んでくれたお母さんに何か絵とか描いたり作ったりしててみる?とお父さんが聞いてみたら、最初は「知らない人だから描かない。」と言いながら好きな工作をお父さんにお願いしてました。
翌日アルバムを郵送するにあたってもう一度聞いてみました。この時も好きな工作をしている時でした。「ガッチャマンを産んでくれたママはお父さんやお母さんにとってもとても大切な人で、ガッチャマンを産んでくれてありがとうという気持ちだよ、生まれて来てくれてありがとうね、こうやって出会えて嬉しいし幸せだよ。」と、実親さんに対する私達の感謝の思いを伝えました。
ガッチャマンは工作しながら聞いていました。その時は次の作品のために白い紙の枠にガムテープでトリミングした物を前にしていました。
「生んでくれたお母さんの名前は何て言うの?」
「○○さんっていうよ」
「ゼロを生んでくれたお母さんの名前は?」
「○○さんっていうよ」
「ガッチャマンを生んでくれたママの髪は長い?」
「お父さんもお母さんも会ったことがないから分からないんだけど、岡田さんに聞いたら分かると思うよ。ガッチャマンがいつか会いたいって思った時は言ってね。直ぐには会えないけど、大きくなったらいつかきっと会えると思うよ。」
するとガッチャマンは『ひらめいた!』と言って、絵を描き始め、誰かの似顔絵が出来ました。
「この絵はだれ?」と聞くと、
「産んでくれたママ」といい、一度も会った事ないママの似顔絵を描いていました。
そして、絵に自分の名前を書いて『産んでくれたママありがとうって書きたいから字を書いて』と言ったので、紙にお手本を書いてあげて、それを真似して似顔絵の下に『うんでくれたママありがとう』と書いていました。
こうしてママの素敵な似顔絵が出来上がりました。
その後、お手本に書いてあげた「ありがとう」の文字を書いた紙に、家族5人の似顔絵を描いていました。

岡田さんに写真と一緒に送ってもらおうね、と言ったら『岡田さんが自分の絵だと思ったらどうする?』と真剣に言ったので、いやいやそれはないから大丈夫よと、みんなで笑いもありの時間でした。
どんな思いでママの似顔絵を描いたのかは計り知れませんが、ガッチャマンが書いた言葉どおりの「生んでくれたママありがとう」の素直な気持ちだったのだろうと思います。この時も「ママに会いたい」という思いも確認しましたので、成長しそれぞれの立場がゆるされるのであれば再会させてあげたいと思っています。その後、ガッチャマンから絵やアルバムについてどうしたのかとか聞いて来る事はありませんでした。
うちはお母さん、お父さんと呼ばれているのですが、最近パパ、ママとも呼ぶようになりました。もしかして何かしら生みのママへの思いも含んでいるのかなと思っています。

私達は長男に告知をし、兄弟を迎えることを期に成長に合わせて話をし、今はその事実だけを理解していますが、成長と共に色んな疑問や悩みや会いたい、知りたいという様々な思いや葛藤が出てくる事と思います。

告知はスタートしたばかりであり、そんな子供の心の変化に寄り添いこれからも成長に合わせた告知を続けていこうと思います。

二男は3歳になりましたが、二男には二男の成長にあったタイミングで告知をしたいと考えています。その際は、長男が先に道を行くものとして同じ立場で弟や妹の心情も理解し少しでもサポートしてくれるのではないかと思っています。

子供たちはどんどん成長し、思春期になり、難しい年頃にもなってくると思いますが、子供たちにたくさんの愛情を込め、親子そして家族としての絆を深めていこうと思っています。

Babyぽけっとの子供たちは養子縁組という素晴らしいご縁の元に誕生した家族であり、皆が兄弟のようなものだと思っていますので、このシンポジウムやすずらん会たんぽぽ会などの交流を通じて、養子縁組という同じ立場を共有する子供たち同士の繋がりを大切にして行きたいと思っています。
また、子供たち同士の友情を深め、成長と共に親には言いづらい、他の友達にも言えないような悩み等も出てきた時に、きっとお互いの思いを分かち合えるような環境があることはとても心強いのではないかと思います。

これからも告知を続けて行く上で、子供たちには実親様が託された「幸せになって欲しい」という願いのもと、養子縁組の道を選ばれ親子になれた事への感謝を伝えていきたいと思っています。今ある幸せに感謝し、子供たちには「生まれて来てくれてありがとう」をこれからも伝えて行きたいと思っています。

最後になりましたが、ご縁を授けて下さった岡田代表や、自らも子育てしながら活動されてるBabyぽけっとのスタッフの皆様に感謝いたします。これからもベビー救済により、沢山の小さな尊い命が救われ、養子縁組という素晴らしい家族の形がある事をもっと広く認知される事を願っています。また、子供たちの健やかな成長とご家族の皆様のお幸せを祈っています。

まとまりのない話になってしまいましたが、お聞きいただきありがとうございました。

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これはH25年6月のシンポジウムで長男ガッチャマンへの告知についてお話しさせていただいた内容です。
これまで説明会&面接会、シンポジムやすずらん会等に参加させていただける機会があり、その時には子供たちはみんなガッチャマンやゼロとあいちゃんと同じようにして家族になったのだよと伝えていました。告知を迎える子供たちにとって、このようにしてたくさんの幸せな家族に出会える場や機会がある事は真実告知を受け止めていく上で大切だと思います。

今年3月末に転勤で引っ越してきたのですが、引っ越し前に仲良くしていたお隣さん(母の友達)に『ガッチャマンには3人のお母さんがいるんだよ。うんでくれたママとお母さんと赤ちゃんの時に育ててくれたお母さん(岡田さん)』と自分で言ったそうです。そしてそ私達両親には言わなかったのですが、その後お隣さんとお友達と遊びに出かけた時に『引っ越してからもお友達にもう一人お母さんがいるって言わなくちゃいけないかな?』と聞いてきたそうです。親には遠慮してなのか聞いて来る事はなかったのですが、そういう胸の内を話せる人に巡り会えた事に感謝しています。引っ越した先の新しいお友達には知られたくないのか、複雑な思いがあるのだと思います。ガッチャマンには引っ越してからは、『新しいお友達には言いたくないなと思ったら言わなくていいよ』と何気に会話の中で伝えています。

小学校に入学したこの春に学校で絵を描く機会があって『好きな物を描いてって先生が言ったけど、これ以上浮かばなかった』とお風呂に一緒に入っていた時に言いました。その言葉の中に含まれている何かを感じたので、『一番会いたい人を描いてもよかったかもね』と言ったところ『うんでくれたママ』と直ぐに返事が返ってきました。何かしらきっとそのようか思いがあるのかなと様子を見ていて感じていた頃でしたので、「会いたい」という思いを言葉にして引き出させてあげる事ができたことも良かったのだと感じました。
その後分かったのですが、小学校初めての参観日に発表する「私の好きなのも」ということで絵と文章を考えているときだったようです。
いろんな事をきっかけに様々な思いが浮かんできたり、成長と共に自分のルーツを知りたいという思いは自然な感情として出てくると思います。

子供たちには産まれてきてくれたこと、親子となれたことへの感謝を日々伝えています。そして、様々な思いを共に乗り越えて、子供たちは産まれてきたことへの幸せと自分を産んでくれた実母さんへの感謝の想いを持って、いつの日か再会出来る時を迎えられることを願っています。

これからも成長に応じた告知が何年も続いていきますが、子供たちの心の成長に寄り添っていきたいと思っています。

平成26年6月 はな

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