ぽけっとパーク

真実告知体験談

ケースNo.15

この度は貴重な機会をいただき、ありがとうございます。
様々な告知の形があると思いますが、今日は私達家族が大切にしてきたことを、お伝えできればと思います。

まずは、子供より、わが家の自己紹介をさせていただきます。ポコくん、お願いします。
「ままは、やさしくて、いざとゆうときにやくにたつ、ははです。ぱぱは、いつもやさしくて、いつもあそんでくれる、ちちです。ぼくは、ポコです。7さいです。ともだちをつくるおとこのこです。いまは100にんです。ほんとうは1000にんできたいです。すきなことは、ゆうちゅうぶです。」

今日の発表の主旨を説明し、「家族の自己紹介を考えてくれる?」と聞くと、サラリと仕上げてくれました。頑張って発表してくれました。
では次に、治療から養子縁組までの道のりを、お話したいと思います。

私達夫婦は、学生時代から7年の付き合いを経て、子供を望む気持ちをきっかけに結婚しました。明らかな原因もなく、2年経っても子供に恵まれなかったことから、不妊治療に踏み切ることにしました。

医療職である私たちは、今の医学では説明できない事がある事も分かっていました。
結婚1年目に特別養子縁組を紹介するテレビ番組に出会えたこともあり、治療を重ねても、子供を授からなければ、そういう道もあるのだと話していました。私の父親がステップファミリーであり、血縁だけが家族ではないという自身の経験もありました。

高度不妊治療にも早期から取り組みました。毎回、質の良い受精卵が何個も育ち、何の問題もない状態での移植を10回以上繰り返しましたが、着床することはあっても、それ以上にすすむことは ありませんでした。その間は、もちろん精神的に苦しかったのですが、出産への思いを振り払うには十分な期間であり、大切な時間だったと思います。

当時、治療と並行して特別養子縁組についても調べていました。その中でも、ひと際オープンで、分かりやすい、ベビーポケットのホームページを、毎日のように拝見していました。ベビーポケットの存在は、その頃から私たちの希望でした。

不妊治療と県の里親登録を並行していた時期もありましたが、治療を辞める決断ができた為、会に問い合わせをさせていただくことになりました。若輩者であった私達を、会は快く迎えて下さいました。

面接当時のことは今でも鮮明に覚えており、緊張したと同時に、会場におられた明るい縁組家族の姿に、心を打たれました。代表に、子供の名前の候補を褒めていただいた事も印象的で、子供と暮らすという夢にまた向き合えたことを、嬉しく思いました。

ご縁をいただき7年が経った今でも、時折この幸せを、夢のように感じることがあります。

さて、長くなりましたが本題に入りたいと思います。
私達は、当初より、会の告知のすすめに賛同し、これまでの時間を過ごしてきました。
先輩方の体験からも、告知がいかに重要なことかを学んできましたし、また、養子縁組に関わらず、真実の告知は、人が人生をすすめる上で欠かせないものであると考えていたからです。

私達は仕事上、多くの患者さんの真実の告知の場に立ち会います。一昔前であれば、本人の意に関わらず、病名を隠し続けたこともあったでしょう。しかし今は違います。個人の尊厳が何よりも重視され、また情報にもあふれ、その気になれば何でも分かってしまう時代です。真実を受け止めるには、当人にしか分からない苦労があると思いますが、それを受け止めることによって、はじめて、自らが意思決定できる人生が歩めると考えます。

とは言え、告知には非常に大切な条件があるように思います。それは〈信頼関係〉と〈段階をふむこと〉です。告知をする側は、独りよがりになることなく、される側に対し、常に真摯に向き合い、努力し続ける姿勢があること、また、される側は 出来れば心が安定していること、私達は、子供と出会ったその日から、それらの事を大切にしたいと思って日々を過ごしてきました。

これからは、0歳から順に、子供との歩みを、お話していきたいと思います。
0歳の時は、私達にとって、右も左もわからない子育てでしたが、スキンシップや愛情を伝えることを一番に意識していました。信頼関係を気付くためにも、親は赤ちゃんにとって、〈いつも近くにいてケアをしてくれる〉〈泣くとすぐに来てくれる〉〈そのうち泣かなくてもわかってくれる〉という存在であることが大切であると信じていたので、とにかく、後悔することのないよう、出来る限りで一緒にいました。結果、寝る間を惜しみすぎて、私が帯状疱疹になったことは、今では良い思い出です。

また、BP間の交流を大切にし、将来の告知に向けての学びを深めていきたいと思っていました。生後1ヵ月では、第2回シンポジウムに参加し、3人家族になった同期との再会を果たし、喜びを確かめ合いました。北陸BP家族とは、新生児の頃から、数えきれないほどの交流を重ね、今に至ります。北陸に飛んでくる赤ちゃんとマザーさんに会いに行ったことも何度かあります。全てが初めてであり、分からないことだらけの中、良き仲間が居ることは、親にとっての支えにもなっています。

周囲のへの報告に関しては、親せきと、職場の上司、ごく一部の友人たちにのみおこないました。誤解のないよう、家庭裁判が終わるまでは、産みの親に親権があることも伝えました。

《1歳》、ハイハイから伝い歩きへ、自発的な動きが増えてくる中で、本棚に置いてある自分のアルバム写真を、好んで良く見るようになりました。当然ながら、そのアルバムは、我が家に来た当日の写真から始まります。

私達は自然な流れから、隣で、「これはマザーさんだよ。ポコ君をパパとママのところに 連れてきてくれたんだよ」と話をしました。交流会の写真の時には「これは〇〇ちゃん、これは〇〇ちゃん、みんなマザーさんが連れてきてくれたお友達だよ」と話をしました。

私達の告知は、特別な告知場面を設けるというよりは、こうした形で、スタートしました。アルバムが、わが家の告知のキーワードになりそうだったので、意識して整理し、子供がいつでも手にとれる場所に置いておきました。7歳になった今でも様々な歩みのつまったアルバムをみるのが大好きで、年ごとに作るDVDも、擦り切れるほどよく見ています。年一回、実母さん宛のアルバムを作成し、送る際には、「産んでくれたお母さんに、可愛くて元気な姿を見てもらおうね」と話をしています。

《2歳》、言葉や自分で出来ることが増えると同時に、俗に言うイヤイヤな時期もありましたが、告知に向けての準備として、絵本を読むことや、色々な人と出会うこと を続けました。準備というのは、〈赤ちゃんが、大切な存在であること〉〈お母さんのお腹から産まれてくること〉を知ってもらうことです。またもう一つ、今後告知を受け入れ、自分で歩んでいく為の糧として〈人や生き物を好きになって欲しい〉という思いもありました。

絵本は、当時は赤ちゃんや家族が出てくるストーリーを意識して選びました。年齢がすすんだ頃には、マイノリティーが主人公の本を選ぶようにもしました。絵本の読み聞かせは、今では私の楽しみにもなりました。

色々な人と出会うという事に関しては、イヤイヤな時期であり、多少、親子でストレスを感じる事もありましたが、無理のない程度に頑張りました。

《3歳》、猛烈なイヤイヤな時期が嘘のように収束していき、言葉をより深く理解し、他者との関り合いが上手になってきた印象がありました。

お友達のお母さんのマタニティー姿に 気づいている様子が見られたので、「何でお腹が大きいのか分かる?」と聞いてみることにしました。すると、「赤ちゃん!」と理解を示したので、それまでの関りで学んでくれたことを確認できました。それからは、より言葉で「赤ちゃん可愛いね。大切だね。お母さんから産まれるんだね。ポコくんも可愛い。大切。」などと伝えました。

それと同時に、教えたわけでもないのに、寝る前によく〈赤ちゃんごっこ〉をするようになりました。私のお腹から産まれ、段々成長する、という5分ほどの遊びです。頻度は減ってきましたが、今でも時折、寝る前に「やりたい!」と言ってくるので、しています。
〈赤ちゃんごっこ〉は、子供にとって良くある遊びのようですが、そこにある気持ちは、その時々や、その子供によって様々だと思います。ですので、これからもしっかりと子供に目を向けながら、寄り添っていきたいと思っています。

《4歳》、園での集団生活も少しずつ身に付き、自分より小さい子に対しては、お兄ちゃんとして振る舞う様になってきました。3歳までは、アルバムの横で時折声をかける以外に、告知に関する話はしていなかったのですが、随分と心身が成長してきた様に感じたので、アルバムを見ているある日、質問をしてみることにしました。「ポコくんは誰から産まれたのか分かる?」という質問です。すると「マザーさん!」という答えが返ってきました。どうやら私から産まれていないことは分かっているのだな、と思いました。「マザーさんは、ポコくんやベビーポケットのみんなを連れてきてくれた人だね。産んでくれたお母さんは 富士山のある静岡県に住んでいたんだよ。」と説明をしました。静岡には2歳の時に旅行に行っており、その時の写真もアルバムにある為、過去に何度か伝えていました。すると「あ、そうだったね。」と言いました。

BPの交流会の前には「産んでくれたお母さんと、今一緒にいるお母さん、2人お母さんがいる子達の集まりだよ。」という内容のことを話してから向かっていました。今では言わなくても理解しているようなので特に言わなくなりました。

幼稚園に通うようになり、親子の交友関係が一気に広がった事も、大きな変化でした。
ママ友が増えるに従い、出産の話題になることも多かったので、その流れで養子縁組の話をすることも、何度もありました。近所へのカミングアウトは、2歳の時に家を建てた事もあり、公園で頻回に交流を重ねるうちに、機をみて行っていました。

《5歳》、感性も広がり、「このお母さんの所に来れてよかった」など、気持ちを言葉で伝えてくる事が増えました。多くは寝る前の時間か、私と二人きりでゆっくりとすごしている時間帯です。「ママもポコくんが来てくれてよかった。子供が産まれないから悲しいな、と思っていたけれど、マザーさんが連れてきてくれたんだよ」、「産んでくれたお母さん、こんなに可愛いポコくんを産んでくれて本当にありがとう、だね」などと、返事をしています。
そしてそんな時は、言葉以上にスキンシップを大切にし、大好きを伝えるようにしています。

また、「ママは誰から産まれたの?」と質問されたことが2度ほどありました。「ママは栃木のばあばから産まれて、栃木のばあばが育ててくれたよ」と話しました。
我が家の場合、告知については、多くの時間を過ごしている私がメインで話をしています。その影響からか、私に質問してくることはあっても、現在のところ、夫と二人でいる時間帯に、このような話をしてくることはないようです。私が子供に寄り添い、私に夫が寄り添う、というようなイメージでしょうか。

告知の方向性や、子供の成長については夫婦でよく話をしています。子供が親に気持ちを伝えやすい環境を整えることが 最も大切であると考えますが、今後必ずしもその相手が、私や夫であるとは限りません。過去に、私の従妹が、多感な時期に、祖父母宅に、一時避難していたエピソードがありました。私達の両親にも、出来る限りで力になってもらえるよう、時折ですが、告知の話をしています。

《6歳》、社交的な子に成長したなと感じました。自分も、人も、犬も、猫も大好きです。
そんな中、公園やトランポリン教室などで、顔見知りの大人たちに、あるゲームをするようになりました。決まって妊婦さんや、赤ちゃんがいる場所での事なのですが、「僕は誰から産まれたでしょう」というゲームです。顔見知りといっても、養子であることを伝えていない方も多いので、最初はその様子をみて慌てました。しかし、「子供の自然な気持ちを止めることは違うかな」と思い、とりあえず「きっと答え難しいから、教えてあげて」と促し、その後に「実は…」と私から説明を足すことにしました。みな一様に驚くものの、その後も変わらないお付き合いをしています。

仲のよい子にも「お母さんが二人いる」と話した事があるらしいのですが、一人には「意味が分からない」もう一人には「ふ~ん」と言われたそうです。その時は、その親御さんも親しく、事実を知っていたので、子供同士がそんな話をしたらしい、と一言私から伝えました。大人やポコくんにとっては理解できることも、何も知らない子供達にとっては理解が難しい事かもしれません。今後は、お友達へのフォローも課題となります。

最近では、お友達に話すことは無い様です。理由については、「きっと言っても意味分からないと思う」と言っていましたが、一方で、学校の先生には、「既に言った」 と報告を受けました。「先生は多分、分かったと思うよ」と自信満々に言っていましたが、〈お母さんが2人居る〉というと、他にも色々な家族の形が想像できるなと思いました。「ママからも、もう一度言っておく?と」確認すると、「うん、言っておいて」と言うので、時期をみて伝える予定です。

2年生になると生い立ちの授業があると聞きます。先生や周囲の大人にも協力を求めたいと思います。「僕は誰から産まれたでしょうゲーム」という、予期せぬ子供のアクションに、最初は戸惑いもありましたが、このゲームを通じて、ポコくんが、「お母さんが2人居る事を前向きに捉えてくれているのかな」と推察する事ができました。

また、ごく最近の事ですが、〈産んでくれたお母さん〉だけでなく、〈産んでくれたお父さん〉という言葉も出るようになった事に、成長を感じました。

6歳の時に、もうひとつ驚いたエピソードがありました。BPの同世代のお友達とキャンプをしていた時のことです。交流も深まった翌朝、子供達がテントで輪になって、どうやら実母さんの話題を口にしていたのです。短い時間であったとは思いますが、大人がのぞきにいった時に、産みのお母さんについて、「ぼくは〇〇さん、ぼくは〇〇さん」などと教え合っていたようです。親の知らないところでも、こうして子供達の〈告知の受容〉が、少しずつ進んでいることを感じました。

この4月に、お陰様で7歳の誕生日を迎えました。小学校に入り、世界がまた一段と広がっているように思います。様々な事に興味を持ち、〈なぜ自分は生きているのか〉という自分の事や、神様の事なども質問するようになりました。親にとっても難しい問いであり、その都度、一緒に答えを考えています。

今の学校では、食物アレルギーや、1型糖尿病といった、事情のあるお友達がいる事を、紙芝居などで説明を受けたそうです。子供たちは、やはり〈知る〉ことで初めて考え、行動していくのだと思います。これからも多くの人に触れ、学んでいって欲しいと願っています。そのための土壌である家庭での会話、スキンシップはこれからも大切にしていきたいと思います。そして親もまた、子供の成長と共に学び続ける必要があると考えています。

最後になりますが、私達夫婦にとっての何よりの真実は、〈産んではいないけれど、家族になれて幸せ、あなたが産まれて来てくれてよかった〉ということです。それを子供に伝え続けたいと思います。

ご清聴、ありがとうございました。

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